こんにちは!管理人のヒロです!
今回は太平洋戦争が終結して28年目に、グアム島で発見された残留日本兵、
横井庄一さんについて調べてみました。
よく年配の方が椅子に腰掛ける時に「ヨッコイショーイチ」なんておっしゃっているのを聞いたことがありませんか?
今回はその語源となった横井庄一さんについて、
横井庄一さんの経歴や学歴は?
横井庄一さんに妻や子供はいる?
横井庄一さんと小野田寛郎さんとの違いは?
等々、書いていきます。
よろしければ最後までお付き合い下さい。
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横井庄一の経歴や学歴は?
横井庄一さんのプロフィール
横井庄一さんのプロフィールは以下になります。
横井庄一
よこい しょういち
- 生年月日:1915年3月31日
- 生誕地:愛知県海部郡佐織村(現在の愛西市)
- 所属組織:大日本帝国陸軍
- 軍歴:1935年-1939年 第一補充兵役、1942年-1945年 再召集
- 最終階級:陸軍軍曹
- 除隊後:評論家
- 享年:満82才
横井庄一の経歴や学歴
横井庄一さんは旧制小学校卒業後に約5年間、愛知県豊橋市の洋品店に勤務しました。
そして、1935年(昭和10年)、満20歳になったため徴兵検査を受け第一補充兵役(補充兵)に召集されます。
帝国陸軍に入営後4年間、軍務についた後に洋服の仕立て屋を開きました。
1941年(昭和16年)、太平洋戦争勃発と同時に再召集されます。
1944年(昭和19年)からはグアム島に配属、同年7月のグアムの戦いにより戦死したとされます。
しかし、実際は横井庄一さんは戦死しておらず、山中に潜伏しゲリラ戦を行っていました。
1945年にポツダム宣言受諾による日本軍の無条件降伏を知らされず、
以来28年間、横井庄一さんはジャングルの中の地下壕などで生活。
28年後に現地の住民に偶然発見され1972年2月2日、日本に帰国しました。
横井庄一さんは満57才になっていました。
その際、横井庄一さんは「恥ずかしながら生きながらえておりましたけど」と発言し、
この言葉をとらえて「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語となりました。
その後、横井さんは戦後の日本の変化に適応できるか心配されましたが、
周囲が驚くほど見事に戦後日本の生活に馴染みました。
幡新美保子さんと結婚し、生活評論家として全国各地で講演を行いました。
1974年には参議院議員選挙にも立候補しました(惜しくも落選)
1997年(平成9年)に逝去されました。
管理人も今回改めて横井庄一さんの経歴を振り返ってみて、
28年間もの長きにわたりジャングルでサバイバル生活を送り生き抜いた横井さんの尋常ではない精神力に驚愕しました。
自分だったら1週間もたないのではと考えました。
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横井庄一に妻や子供はいる?
語り継ぐ戦争 グアム潜伏28年の故横井庄一さんと結婚 横井美保子さん (朝日新聞社公式CHより)↓↓↓
前述しましたように横井庄一さんは1972年、57才の時に日本へ帰国し、
その年に幡新美保子さんと結婚しました。
横井さんが57才、美保子さんが44才の時で13才の年の差婚でした。
横井さんは美保子さんとお見合いした時、
「わしを見に来ただけだろう」とひねくれていたそうです。
それを聞いた美保子さんは「失礼な!私も戦争で苦労した方ならと心を決めてきたんです」と怒ったそうです。
すると横井さんは「わしは怒ってくれる人が好きだ」と言い、
その後トントン拍子に結婚が決まったそうです。
管理人はこの話を聞いた時、不思議と胸が熱くなりました。
当時、時の人だった横井さんを皆腫れ物のように扱い、
怒ってくれる人はいなかったのかも知れません。
そこに美保子さんのこの真剣な態度が横井さんの胸を打ったのだと思います。
美保子さんは結婚後に横井家に掛かってくる「なんで帰ってきた」というような、
心無い匿名の電話にも頭を下げながら謝ったそうです。
横井さんも立派な方ですが、妻の美保子さんも負けず劣らず立派な方だと思います。
美保子さんは横井さんが亡くなった後に、
横井さんの生前の遺志をくみ横井庄一記念館を開館され、
自ら館長を務められています。
また、お二人の間に子供さんはいらっしゃいません。
横井さんは28年間ジャングルの中で生活されましたが、
帰国後、亡くなるまでの25年間、美保子さんというすばらしい伴侶と生活されたんだなと思いました。
鎮魂の旅路―横井庄一の戦後を生きた妻の手記
『中古』鎮魂の旅路?横井庄一の戦後を生きた妻の手記
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横井庄一と小野田寛郎の違いを比較
今50才以上の方であれば、横井庄一さんと並んでもうひとり、
小野田寛郎さんという名前を聞いたことがあるのではないかと思います。
小野田寛郎さんも終戦後29年間フィリピンのルパング島で潜伏生活をしていた方です。
横井庄一と小野田寛郎さんを比較してみました。
氏名 | 横井庄一 | 小野田寛郎 |
生年月日 | 大正4年3月31日 | 大正11年3月19日 |
出身地 | 愛知県 | 和歌山県 |
最終階級 | 伍長 | 少尉 |
潜伏地 | グアム島 | ルバング島 |
潜伏年 | 28年 | 29年 |
帰国時年齢 | 57才 | 51才 |
帰国年 | 1972年 | 1974年 |
除隊後 | 評論家 | 牧場経営 |
妻 | 美保子 | 町枝 |
享年 | 82才 | 91才 |
小野田寛郎さんは横井庄一さんとは対象的に、父親との不仲や一部マスコミの虚偽報道等もあり、
戦前と大きく価値観が変貌した日本社会に馴染めず、
妻の町枝さんと共にブラジルにわたり牧場経営をされています。
管理人はこの時に小野田寛郎さんがテレビのインタビュアーの
「国とはなんですか?」という質問に対して、
「幻のようなものだ」と答えていたことにショックを受けた覚えがあります。
日本のために29年間ジャングルに潜伏し、
日本のために自分の人生の多くを犠牲にした方が、
結果的に日本を捨ててブラジルに移住せざるを得なかった事実を重く受け止めねばならないと感じます。
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まとめ
現在の日本の平和は、横井庄一さんや小野田寛郎さんのような方々の献身の上に成り立っているのだと、
つくづく考えさせられました。
感謝すると共にご冥福をお祈りいたします。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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