「みんなのうた」の懐かしい名曲リスト!40代が泣いた!

 

「あ、この曲!」って声に出てしまう瞬間、ありませんか?

 

テレビをぼんやり眺めていたら、突然聴き覚えのあるメロディが流れてくる。

 

その瞬間、時間が一気に巻き戻されて、小学校の頃の自分がリビングのソファに座っている情景がよみがえってくる……。

 

そんな体験、40代の方なら一度や二度じゃないはずです。

 

そのメロディの正体が「みんなのうた」だったりすることは、けっこう多いんじゃないかと思うんですよね。

 

NHKの5分間ミニ音楽番組として1961年に産声を上げた『みんなのうた』は、気づけば60年以上も続く超長寿番組。

 

これまでに放送された楽曲は実に1500曲以上にものぼります。

 

今回は、そんな『みんなのうた』の懐かしさを40代目線で思いっきり振り返ってみたいと思います。

 

「あの曲、覚えてる!」と膝を叩く曲も、「あの映像、怖かったな……」と苦笑いしてしまう曲も、全部ひっくるめてご紹介しますよ。

 

レオ君レオ君

ねえ、「みんなのうた」って今でも放送されてるの?なんかすごく懐かしい名前だけど……

モー太モー太

もちろん!今でもNHKでちゃんと放送されてるよ。60年以上続いてる超長寿番組なんだ。40代の人たちが子供の頃に見てた曲が、今でも再放送されることもあるし、最近では米津玄師さんやYOASOBIも楽曲を提供してるんだよ!

40代が思わず口ずさむ!80年代の懐かし名曲たち

まず、現在の40代の方が「子どもの頃にリアルタイムで体験した」80年代の名曲から見ていきましょう。

 

「コンピューターおばあちゃん」(1981年)

 

この曲を知っている人が読んでいたとしたら、今すぐメロディが頭の中で流れ出しているんじゃないでしょうか。

 

作詞・作曲は伊藤良一さんで、うたは東京放送児童合唱団(酒井司優子)。

 

そして実は編曲があの坂本龍一さん(YMO)なんです!

 

1981年というバリバリの昭和時代に、テクノポップサウンドで「コンピューターおばあちゃん、明治うまれの~」と歌い上げるこの曲は、かなり革新的だったはず。

 

「コンピューター」という言葉自体がまだ夢の未来技術だった時代に、子どもたちにその存在を楽しく伝えた功績は大きかったと思います。

 

今になって「これ、坂本龍一さんだったの!?」と気づいて震えた人も多いのでは。

 

「アップル・パップル・プリンセス」(1981年)

こちらはあの竹内まりやさんが歌った楽曲です。

 

竹内まりやさんといえば日本を代表するシンガーソングライターとして知られていますが、みんなのうたでもこんな素敵なナンバーを残していたんですね。

 

リズム感のある可愛らしいメロディで、子どもたちだけでなく大人にも聴き心地の良い一曲です。

 

「ラジャ・マハラジャー」(1985年)

「インドで一番なりたいもの!インドで一番大金持ち!」のフレーズが耳に残って仕方ない、あの曲です。

 

くまいもとこさんが歌ったこの曲は、版画風のアニメーションとともに独特の世界観を展開。

 

なぜこの曲がみんなのうたに?と首をかしげながらも、気づいたら一緒に口ずさんでいた、そんな不思議な魅力があります。

 

「おもいでのアルバム」(1977年 / 80年代に再放送多数)

「いちねんせいになったら~」じゃないですよ(笑)。

 

卒業式の定番曲として多くの方に馴染みのある「おもいでのアルバム」は、もともとみんなのうたで広く知られるようになった楽曲です。

 

季節の移り変わりとともに積み重ねてきた思い出をめくるように語る歌詞は、子どもが聴いても、大人になって聴いても胸に響くものがあります。

 

京王線つつじヶ丘駅の発車メロディにもなっているんですよ。

レオ君レオ君

ちょっと待って!「コンピューターおばあちゃん」が坂本龍一さんの編曲だったって、まじで!?それ知らなかった……

モー太モー太

そうなんだよ〜!YMOが世界的に大ブレイクしていた時期と重なるんだよね。坂本龍一さんがNHKの子ども向け番組でテクノサウンドを使ってたって、今思うとすごいことだよ。

40代を震え上がらせた「トラウマ曲」

みんなのうたを語る上で、絶対に外せないのがいわゆる「トラウマソング」の存在です。

 

子どもの頃に見て、なんとなくゾクッとした、あるいは「あの映像、なんだったんだろう……」と何年も引きずった経験のある方も多いはず。

 

「メトロポリタン美術館」(1984年)/ 大貫妙子

歌手・シンガーソングライターの大貫妙子さんが作詞・作曲・歌唱を担当した、みんなのうた史上最高傑作の呼び声も高い一曲です。

 

1984年の放送以来、今なお絶大な人気を誇ります。

 

深夜の美術館に紛れ込んだ少女が、天使の像とやりとりをしたり、エジプトのファラオの石棺を覗いたりしながら、最後は「大好きな絵の中にとじこめられた」というところで終わる……という歌詞の内容は、今改めて読んでも相当シュールです。

 

当時の人形アニメーション映像との組み合わせが絶妙で、子どもには「怖い!」大人には「なんか深い……」と受け取られる、不思議な二面性を持った名曲です。

 

実は、この曲で大人になってから実際のメトロポリタン美術館に行く気になった人も多いとか(笑)。ある意味で最高の文化教育コンテンツですよね。

 

「まっくら森の歌」(1985年)/ 谷山浩子

こちらも強烈です。シンガーソングライターの谷山浩子さんによる同曲は、1985年8月〜9月に放送されました。

 

「まっくら森の、奥には何がある?」とつぶやきながら、じわじわと暗闇の世界に引き込まれていくような歌詞と、独特のアニメーション映像が合わさって、子どもの心にズシッと刻まれる作品です。

 

「子供の頃は怖いと感じるけど、大人になったら安らぎを覚える歌だ」というファンの言葉が、この曲の本質を言い当てていると思います。

 

大人になってから聴き直すと、恐怖より先に深い郷愁と、言葉にならない感情が押し寄せてくる。

 

それがまっくら森の歌の本当の凄さじゃないかと、個人的には感じています。

 

ちなみにYouTubeのロングバージョンは167万回以上再生されており(2025年時点)、今なお根強いファンがいることが伺えます。

レオ君レオ君

「まっくら森の歌」!!あったあった!あれ子供の頃にテレビで流れてきたとき、なんかゾクゾクしたの覚えてる。でもなぜか引き込まれてたんだよね……

モー太モー太

わかる!あの独特の世界観、子どもには「怖い」でも大人になると「切ない」に変わるんだよね。みんなのうたって、子ども向けなのに大人の感性に届く曲が多くて、それが長く愛される秘密だと思う。

みんなで歌った!元気が出る明るい名曲セレクション

怖い曲ばかりじゃないですよ(笑)。

 

みんなのうたには、今でも口ずさみたくなる、明るくて楽しい名曲もたくさんあります。

 

「南の島のハメハメハ大王」

「南の島の大王は〜その名もハメハメハ〜」のフレーズ、今でもすらすら出てきませんか?

 

作詞:伊藤アキラ、作曲:森田公一という豪華コンビによるこの曲は、南国のファンタジー世界を軽快なリズムで描いたもの。

 

「学校がいやなら休んでいいよ」という王様の大らかすぎる発言に、子どもながら「え、そんなこと言っていいの!?」とドキドキした人も多いのでは(笑)。

 

「山口さんちのツトム君」(1976年)

「山口さんちのツトム君、今日もまた学校でぼんやりして……」という出だしで始まるこの曲。

 

作詞・作曲はみなみらんぼうさんです。

 

どこにでもいるような男の子ツトム君の日常を描いた歌詞は、聴いていると自分の子ども時代と重なって、なんともいえない温かい気持ちになります。

 

「これ、あの頃の自分だな……」と苦笑いしながら聴いている40代の方も多いんじゃないでしょうか。

 

「赤鬼と青鬼のタンゴ」(1977年〜1978年)

尾藤イサオさんの軽快な歌唱が印象的な一曲。

 

山奥に住む赤鬼と青鬼が月夜にタンゴを踊るというシュールで楽しい世界観が、歌謡曲風のメロディと絶妙にマッチしています。

 

何度も再放送され、多くのアーティストにカバーされてきた、みんなのうたを代表する名曲のひとつです。

 

「切手のないおくりもの」

学校の音楽の授業や卒業式などで歌ったことのある方も多いはず。

 

「世界中に愛を伝えよう」という真っ直ぐなメッセージが胸を打ちます。

 

この曲もみんなのうた発祥と知らずに歌っていた方も多いかもしれませんね。

90年代のみんなのうた、あの頃の「すごい曲」たち

40代の方の小学校高学年〜中学生時代にあたる1990年代のみんなのうたも、なかなか個性豊かでした。

 

「一円玉の旅がらす」(1990年)/ 堺ひろみ

ちょうど日本で消費税(3%)が導入されたばかりの1990年に放送されたこの曲。

 

「一円玉の旅がらす、今日も旅から旅へ……」というメロディは一度聴いたら頭から離れないほど耳に残ります。

 

当時の社会状況をさりげなく反映した歌詞のセンスは、今見ても面白いですよ。

 

「恐怖の昼休み」(1991年)/ THE BOOM

あのTHE BOOMがみんなのうたに参加していたの、ご存知でしたか?給食の食べ残しを風刺した歌詞と個性的なメロディは、当時の子どもたちに強烈な印象を残しました。

 

「恐怖の昼休み」というタイトルだけで笑えてくるのは、給食が苦手だった記憶と直結しているからかもしれません(笑)。

 

「WAになっておどろう」(1997年)/ AGHARTA

もともとみんなのうたで放送されていたこの曲を、V6がカバーして1997年に大ヒット。

 

翌1998年の長野オリンピックの公式テーマソングにもなりました。

 

V6の井ノ原快彦さんはこの曲について、「V6の代表曲の1つだと思っています」と語っており、みんなのうた発の曲が国民的ヒットに育った素晴らしい例のひとつとなっています。

 

「メッセージ・ソング」(1996年)/ ピチカート・ファイヴ

渋谷系の象徴的存在だったピチカート・ファイヴがみんなのうたに楽曲提供というのも、今思うとかなり意外な取り合わせですよね。

 

アップテンポでおしゃれなサウンドは、確かにピチカート・ファイヴらしさ全開で、子どもたちも「なんかかっこいい!」と感じたはず。

 

「秋唄」(1998年)/ 大江千里

昭和の雰囲気を漂わせる切ない歌詞と写真スライドショーのような映像が印象的な一曲。

 

「秋っていいな……」としみじみ感じさせてくれる大人な雰囲気の楽曲で、子ども向け番組に流れているとは思えないクオリティです。

 

モー太モー太

40代の人ってみんなのうたに「渋谷系」も「THE BOOM」もいたんだよね。今思うとNHKってすごいキャスティングセンスだよ……!

レオ君レオ君

ほんとそれ!みんなのうたって子ども向けって思ってたけど、関わってるアーティスト見るとめちゃくちゃ豪華なんだね。坂本龍一・竹内まりや・大貫妙子・ピチカート・ファイヴ……錚々たるメンツだ!

豪華すぎる!みんなのうたを彩った名アーティストたち

改めて振り返ってみると、みんなのうたに楽曲を提供したアーティストのラインナップが本当に豪華です。

年代 楽曲 アーティスト
1967年 今日の日はさようなら 森山良子
1981年 コンピューターおばあちゃん(編曲) 坂本龍一
1981年 アップル・パップル・プリンセス 竹内まりや
1984年 メトロポリタン美術館 大貫妙子
1985年 まっくら森の歌 谷山浩子
1989年 あなたがどこかで 安全地帯
1991年 恐怖の昼休み THE BOOM
1996年 メッセージ・ソング ピチカート・ファイヴ
1997年 WAになっておどろう AGHARTA(V6がカバー)
1998年 秋唄 大江千里
2006年 ぼくはくま 宇多田ヒカル
2010年 魔法の料理〜君から君へ〜 BUMP OF CHICKEN
2018年 パプリカ 米津玄師(Foorinが歌唱)

このラインナップを見ると「え、あの人も!?」という驚きの連続ですよね。

 

日本の音楽シーンのトップランナーたちが、世代を超えて一度はみんなのうたに参加している。

 

それがこの番組の底知れぬ魅力の一つだと思います。

 

みんなのうたがただの「子ども向け番組」じゃなかったことは、このアーティストリストを見れば一目瞭然です。

 

むしろ一流の音楽家たちが本気で向き合ってきた音楽番組なんだということが、あらためてよくわかります。

大人になって聴き直すと違う!みんなのうたの「深み」

子どもの頃はただ楽しいだけだった曲が、40代になって聴き直すと全然違う響きを持つことがあります。

 

例えば「切手のないおくりもの」の「愛することは受け取ること」という歌詞。

 

子どもの頃は意味がよくわからなかったけれど、人生経験を積んだ今なら「ああ、これはそういうことか」と腑に落ちる瞬間があります。

 

あるいは「今日の日はさようなら」(森山良子)の「いつまでも絶えることなく、友達でいよう」という歌詞。

 

小中学校の卒業式で歌った記憶と一緒に、別れた友人たちの顔が浮かんでくる……そんな体験をした40代の方も多いはずです。

 

「みんなのうたって、子どもの頃に種を蒔いて、大人になってから芽が出る曲が多い」なんていう言い方をする人がいますが、これは本当にうまい表現だと思います。

 

子どもの頃は意味も深みもよくわからなかったのに、大人になってふと再会したとき、急にその曲の本質がわかる感じ。

 

これこそが、みんなのうたが60年以上愛され続けている理由の一つじゃないかと思うんですよね。

 

V6の井ノ原快彦さんもこう語っています——「学校ではカッコつけて歌わなかったけれど、家に帰ると自然と口ずさんでしまう」と。

 

この言葉、すごくわかりやすくみんなのうたの本質を表してると思いませんか?

 

誰かに聴かせるためじゃなく、自分の中に自然と染み込んでいる音楽。それがみんなのうたなんです。

現代のみんなのうたも熱い!受け継がれる名曲の系譜

「懐かし話ばかりじゃ寂しい」という方のために、現代のみんなのうた事情もちょっとご紹介します。

 

2018年に米津玄師さんが制作・提供した「パプリカ」(Foorinが歌唱)は、2020年東京オリンピックの応援ソングとしても大ヒット。

 

子どもたちが踊りながら歌う映像はインターネットでも大きな話題になりましたよね。

 

また2021年にはYOASOBI with ミドリーズが「ツバメ」を発表し、NHKのSDGs関連番組とみんなのうたの両方で使用されました。

 

軽快なリズムと爽やかなメロディは、まさに現代版みんなのうたの王道といえます。

 

こうして見ると、みんなのうたの「各時代の一流アーティストが本気で作った子ども向け音楽」というコンセプトは、60年以上ぶれずに受け継がれていることがわかります。

 

私たち40代が子どもの頃に聴いた坂本龍一や竹内まりやの曲も、今の子どもたちにとっての米津玄師やYOASOBIの曲も、本質的には同じことをやっているんですよね。

レオ君レオ君

なんか「みんなのうた」って、その時代の日本の音楽の「結晶」みたいな番組なんだね。昔の曲を聴いたら、その時代にタイムトリップできる気がするよ

モー太モー太

まさにそう!だから40代の人たちがあの頃の曲を聴いたとき、単純な「懐かしい」以上のものを感じるんだと思う。自分の幼少期の感情とか、家族の思い出とかが一緒についてくるんだよね。音楽って、記憶の引き出しを開ける鍵だよ。

40代にとって「みんなのうた」が特別な理由

少し真面目な話をすると、40代という年齢は「みんなのうた」との関係性がちょっと特殊な世代だと思っています。

 

まず、自分が子どもとして番組を見ていた記憶がある。

 

次に、自分の子どもが幼い頃に一緒に見た(あるいは見ている)親でもある。

 

そして今は、自分の幼少期を懐かしむ大人でもある。

 

この「3層構造」の記憶が重なっているのが、今の40代という世代です。

 

たとえば、子どもと一緒にテレビを見ていたら「南の島のハメハメハ大王」が流れてきて、「あ、この曲知ってる!」と我が子が歌い始める。

 

その瞬間、自分も子どもの頃に同じように歌っていたことを思い出す……なんていう体験をした方、きっといますよね。

 

世代を超えて同じ曲を共有できる。それがみんなのうたの最大の宝であり、40代が特別な愛着を持つ理由のひとつだと思うのです。

 

みんなのうたのファンクラブ「熱中人」のメンバーがこんな言葉を残しています——「全国どこでも見られるNHKで放送されたみんなのうたが子供の共通言語になったおかげで、学校に早くなじめた。

 

番組の歌を歌えると『すごいね』と人気者になれた」と。

 

地域が違っても、同じ曲を歌えることが、あの頃の子どもたちをつないでいたんですね。

40代向けみんなのうた厳選リスト

最後に、改めて40代の方に「ぜひ聴き直してほしい!」と思うみんなのうたをまとめてみます。

懐かしくて温かくなる曲

  • 「山口さんちのツトム君」(1976年・みなみらんぼう)
  • 「おもいでのアルバム」(1977年)
  • 「今日の日はさようなら」(1967年・森山良子)
  • 「南の島のハメハメハ大王」

「え、これもみんなのうた!?」と驚く曲

  • 「コンピューターおばあちゃん」(1981年・編曲:坂本龍一)
  • 「アップル・パップル・プリンセス」(1981年・竹内まりや)
  • 「WAになっておどろう」(1997年・AGHARTA)
  • 「ぼくはくま」(2006年・宇多田ヒカル)

子どもの頃に怖かったけど、大人になると深い曲

  • 「メトロポリタン美術館」(1984年・大貫妙子)
  • 「まっくら森の歌」(1985年・谷山浩子)

これらの曲は、YouTubeやSpotifyなどの音楽サービスで比較的見つけやすいので、ぜひ懐かしいメロディを探してみてください。

 

きっと、記憶の奥底にしまい込んでいた「あの頃の自分」に会えると思いますよ。

 

みんなのうたは、1961年から今日まで、ずっとそこにあり続けてきました。

 

時代が変わっても、テレビの前でわくわくしながら画面を見つめた子どもたちの気持ちは、どの世代でも変わらないんじゃないかな、と思います。

 

「あの曲、なんだっけ?」と思い出せそうで思い出せないメロディがある方は、ぜひNHKのみんなのうた公式サイトや動画サービスで探してみてください。

 

きっと「そうそう、これこれ!」という懐かしい一曲に再会できるはずです。

 

大人になった今だからこそ、改めて向き合ってみてほしい——それがみんなのうたという、日本の宝のような音楽番組の底知れない魅力です。